Even If I Can't Love You---(2)
巴里千佳
―――駅を降りてすぐの線路沿いを走り
六つめの角、右に曲がる
少し長い坂の途中で 君を愛してんじゃないかとよぎった―――
道中、いや空中で食事も睡眠も済ませてしまった。ロンドン郊外の住宅地に病院があるとは聞いてあったが、当の本人が雲をつかむような要を得ない説明だった為、フライト後にもう一度聞きなおす予定だった。ヒースロー空港の喫煙ポイントに腰を下ろし、上着のタバコケースに手をやって始めて、少佐はストックをベンツのトランクに忘れてきたことに気付いた。まあいい、そう長く居る訳でもない―――
携帯を取り出して起動する。アドレスをいじっている隙をついて、メール受信画面が現れた。画面に命令されるままにボタンを押しメールを開く。スパムメールと確かめた途端に安堵した自分が他人事のようにおかしかった。
結局、分からなくなるまでは自分で何とかすることにし、部長の小言に備えてもう一度携帯の電源を落とした。
血筋は争えない、母の死後、通夜をてきぱきと取り仕切る長姉の姿を見ていると、ドリアン・レッド・グローリア伯爵はそう思わずにはいられなかった。
幼い頃に精神的には自分より未熟だと感じた姉は、三十に足が掛かろうとしても、目が涙で赤く充血していても、やはり美人だと思われた。家を取り仕切っていた当時の母に似てきたとも思う。五年前に結婚したと知らせをよこしてきて以来、幸せな家庭を築いているようだ。少なくとも、母より遥かに。
次姉の方とは不定期ではあるが連絡を取り合っていて、母の危篤を知らせてくれたのも彼女だった。ものを考える姿勢が自分と似たところがあったからだろう。彼女が幾人もの男友達と遊び歩いていた時、形ばかりに忠告したら「あんたと違って私は慎重に選んでるの」と一蹴された。反論しようとしたが、微妙に趣旨がずれているようだった。
夜の間は暗い照明と、自身の周りが見えなかったため気付かなかったが、母の枕脇に置かれていた花瓶が床の隅によけられたままになっていた。光の当たらない病室に置かれていた花は、生気を抜かれたように頭を垂れている。光を吸えばましな気分になるかと思い、花瓶を抱えて外に出た。
目の前に真っ赤なBMWが停まっていた。
「これが一番スピードが出せたんだ」
苦々しげに言う男を見て、昨夜から張り詰めていた気が緩んだ。それが少佐にはまるで放心したかのようにみえたらしい。
「来たらまずかったか」
と聞いてきたので、
「あまり喜び過ぎると母に叱られるから」
あまり上手くない冗談で切り返した後、
「急だったし、男手が足りないから助かる。入り口の家具を早めに移動させないと棺が置けないらしくて」
と付け加えた。
「式場はお前の城じゃないのか」
「それは避けた方がいいと思う」
ふうん、と気のない返事の後、この度は御愁傷様でした、と挨拶された。普段の嫌味口調の無さが妙に慣れなかった。
「失礼だけどあなた、ドリアンの恋人?」
待合室で落ち合った姉らしき人からごく自然に尋ねられ、
「違います」
と即答した。
「そうよね、あなた真面目そうだもの」
顔をしげしげと眺められた。横に並んで立っている伯爵と較べると、一回り小さくたおやかな女性の体つきだ。
「じゃあ、恋人は借りていくわよ」
伯爵がうなずいたので、焦りながら先に立って歩く女性の後を追った。
車に乗り込んだところで女性がこちらを振り向いて笑った。
「気を悪くさせて悪かったわね。ドリアンが恋人を連れてくることは無いって分かってたんだけど、あなたを見ていたらついからかいたくなって」
笑い顔がちょっと泣きべそをかくような表情に変わり、唐突に尋ねられた。
「私のこと、美人だと思う?」
「ええ、思います」
その言葉に嘘は無かった。
「ドリアンよりも?」
「はい」
美人は女性に使う形容詞だと思うが。
「あなたならそう言うでしょうね。でも子供の頃は危険な男が多すぎたわ、確かに素質はあったかもしれないけど、転がり落ちるにはちょっと斜面が急すぎた。あの子だけが離婚の原因じゃないのにまだ気にしてる―――」
そこで止めて、と指図してから
「あの子を助けてあげてね」
と付け加えられた。
助ける?
助けるって何を?
その疑問はドアを開けたときの「ドリアンが恋人を連れてきたって?」という声と、むっとした自分の表情を笑う女性の声でどこかに吹き飛んだ。
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