「 ウ ェ ー ト 」



 ギシリ。座った重みでベッドのスプリングがきしんで、その反動に乗っかってベッドに仰向けに倒れこむ。

 ギシリ。倒れこんだ時のはずみで体が上下する。体の中で心臓だけが同調するのを拒否して一人勝手に動き出している。体が跳ねるのが止まってもまだ動いている。当然か。心臓が止まれば人はあっけないほど簡単に死ぬ。

 床から伝わる冷気から逃れようと、急いでシーツの中に体を滑らせる。シーツの中も同じ位かそれ以上に冷たく、体を横にして縮こまる。

 背広を着たままでいればよかった。コートを着たままでいればよかった。帽子を、手袋を床に放り投げなければよかった。いや、そもそも靴を脱がず、部屋に入らずにいればよかったのだ。

 俺がここに来た跡が、部屋の中に点々と散らばっている。部屋のドアから靴、鞄、帽子、手袋、コート、背広、それから………ああ、ネクタイだ。全部辿って行けば寝室に辿り着く。

「ヘンゼルとグレーテル」の様に来た道をいつでも戻れるように?黒い森の中を彷徨い、お菓子の家を食べようとして、実際には自分自身が食べられると言う訳だ。この世は等しく食物連鎖のヒエラルキーで成り立っている。全く大した寓話だ。ただお伽話と違うのは、俺自身は逃げ出そうと思えば、ひょっとするとそうできるということか。そう出来る?なら、何故そうしない?



 答えを探している最中に、心臓が大きく一つ、バクン、と高く鳴った。瞼を通して光が届いたので、部屋全体が明るくなったことが分かった。

 片手に俺がさっき撒き散らかした衣類を束ねて、ミーシャが入ってきた。床に膝を付いてネクタイを拾い上げてから俺に声をかけた。

「何時から来た?」

「十五分前だ」

 上半身を起こすと、体重が移動して体が傾いた。元の体勢に戻ると、またスプリングが軋む。俺はミーシャに聞き返した。

「今度は何時までいる?」

「仕事だから分からない」

 情報公開、などとトップクラスは言うが、実際のオープンさはこんなものだ。知りたければ自分で知れ、という態度は改める気配すらない。協力などという生ぬるい接触も、出来れば避けたいようだった。睨み合いが続こうと続くまいと、お互いに立場というどうにもならないものがある。

 ギシリ。ベッドが軋み、俺の体が深く沈みこむ。

 ベッドの端に突いた手に手が触れた瞬間、背筋が固くなる。我ながら気が急き過ぎだ。体を出来るだけやわらかく、力を抜こうと細く息を吐く。しかしそんな努力をした所で、俺の体で唇以上に柔らかい箇所などどこにもない。………ああ、あった。耳たぶだ。

 部屋の電気を緩めてから、ミーシャが服を脱いでいく。まるで、人前で裸を晒すのは慣れているとでも言うような、何のためらいも無いなめらかな行為に、俺は書類の上でしか知らない過去の栄光とやらを想像していてもたってもいられなくなる。だがそれは、秘密主義でも何でもなく、単なる過去は共有できないという事実に過ぎない。ただ年月と共にひけらかす事を控えた筋肉質の体から予想出来るだけだ。

 ミーシャの体が俺に覆いかぶさり、頭の横に肘から突いて静かにキスをする。手で引っ張られた髪が痛くて頭を少し持ち上げると、まるで、待ち切れずに自分から激しいのを求めたような格好になる。慌ててかぶりを振ったところでもう遅かった。

 喰われる様なキスの後に、いつの間にか肩に手を回していたのに気がついた。ミーシャも体を浮かすのを止めたらしく、俺の体に本格的に重量が乗り、背筋がたわむ。重たくて、苦しいのだがその重さが嬉しくて、そしてやっぱり重たくて胸が苦しいのだ。

 暗い部屋に慣れてきて、自分の体に重なる相手の体が見えるようになる。そこで、つい悪い癖が出て、目測で自分の上にいる相手の体の寸法を測る。

「ミーシャ、少し痩せたか?」

 しまったと思う暇も無い。

 頭の横に突いた手が動き、俺の首を押さえ込んだ。

「もう一度言いたまえ」

 脈を計るかのように―――正確には確実に息を止めるために親指に力が入った。一言一句に殺意を感じて、俺はこの首に絡みつく手を外そうと躍起になる。

「もう一度言ってみろ」

 何をやってもびくともしないばかりか、ますます体中の力が集中するように腕が強張っていく。自分の顔から恐怖で血の気が引いた。『シベリア帰り』などとはわけが違う、最大の侮辱の言葉だったのだ。そして、この世には時に、死に値する言葉もある。

「言えないか」

「………」

「さあっ!!」

 首にかかった指が万力のように締め上げてくる。抗おうとする手も指を外すことは出来ず、空を掻く。息を全力で吸おうとすると塞がれて細い喉に息が詰まり、噎せ返る。吐き出そうとする息も、叫ぼうとする声も、全て濁音ばかりの音に変換されてしまう。ゼヒュウ、ゴヒュウと喉が苦しげに咳く。

 あまりの苦しさに硬直する肢体とは逆に、心臓はバクン、バクンと暴れ回る。体から飛び出してしまいそうだ。頭が殴られたように奥の方が鈍く痺れ、もう呼吸が出来ない。

 ミーシャが力を込めるたびに、俺の体が押さえつけられマットに沈む。

 抵抗していた腕が外れ、ベッドに落ちて二、三度弾む。

 殺されるのか、ミーシャ、お前に。

 体が痙攣し、ゼイゼイと歯切れの悪い断末魔の悲鳴が上がる。



 言ったのが俺でなければ許したのか?

 言ったのが俺だからこそ殺されるのか?



 痙攣が鈍くなって沈んでいく体と分離したがる様に、心臓が大きな音を立てて飛び上がり続ける。

 そして呼吸が一瞬静止する。



   *   *   *







 意識が浮上してきた時、頭と首の下に枕が三つほど挟みこまれていた。息を吸い込もうとすると盛大に咽て、慌てて小刻みにゼイッゼイッと体で呼吸をする。

「気がついたかね」

 眉間にしわを寄せてベッドの横からミーシャが小声で言った。 傍にあるサイドテーブルには小振りのボトルと空になったグラスが置かれていた。そして少し苦く辛い味が舌の上に転がっている。

 形ばかり着ていたシャツの左上に、手のひら位のシワが残っていた。

 どうやら、呼吸は止まっても心臓は動いていたらしい。否、動かされていたと言うべきか。

 心臓が止まると、本当に人間はあっけない。

「絞め殺す気だったのか」

「首の骨をへし折る気だったのさ」

 ミーシャが溜息をついて、ボトルに手をかけた。

「お前の言う通り、わしもヤキが回ったようだ」

 コップを渡され、液体を注がれた。一息で呑むよう指示され、喉が驚いて裏返ったように水を吐き出した。ミーシャがボトルごとあおり、口移しでゆっくり少しずつ喉に流し込んでいく。苦い味が喉を伝っていく度に、喉が液体を僅かに押し戻そうとする。

 この調子じゃ、ネクタイを締めるのにも随分時間がかかりそうだ。

「大丈夫か」

「ああ………何とか」

 返事をすると、ミーシャがすまなそうに抱きしめてきた。 結果的に被害を被ったのは俺かもしれないが、より深く傷ついたのはお前なのに。 俺のウェートが増えようが減ろうが、それは任務の都合で変動するにしかすぎない。多少見栄えがするほうが良いと思う程度だ。

たった一キロの増減が戦いと名誉に関わったりはしない。



いつかまた、俺をあの時殺しておけばよかったと思う日が来るに違いない。俺の力がミーシャの力を上回る時。銃口が心臓の真上に押しあてられてから俺を殺さなかったことを後悔しても遅いのだ。



 でも今は、俺をお前は愛し過ぎている。そして憎み過ぎている。そして誇りの高さが手伝って、俺がお前の体力の衰えを揶揄した瞬間、進退窮まるほど追い詰められたのだ。





 そんなお前を憎んでいるから怒らせることを承知であんなことを言ったのか?愛しているから体を気遣い口走ったのか?



 訳が分からなくなって俺は自分を抱きしめるミーシャの肩を抱いた。

 今ならお前に殺されてもいいな、とふと思った。

 そんな考えを振り払う様にベッドから起き上がり、カーテンを開ける。暗い窓の外と一緒に自分の影が映る。

 寝乱れた白いシャツが窓ガラスにはっきりと浮かぶ。そしてその上に、指の形にあざがついた首筋と、自分の顔が微かに映る。

 暫くそうしていると、窓ガラスにもう一人の影が映った。

 振り返らずにいると背後から抱きしめるように腕が伸びてきて、首筋に触れると、ビクリと神経がまだ怯える。



指の跡はあと三日間は消えないだろう。








 ENDE




ロ×独を書くと、どうしてもネタが小出しになります。どうにか長編が書けないものか。
さておき、目方の話です。「少し痩せましたか?」というのはどうやらスポーツ選手にとって腹が立つ言葉らしい、というのをテレビで知って、書こうと思って最近まですっかり忘れていました。
 思い出したのは部活友人がしきりに体重体重言うからです。筋肉ならともかく、脂肪が欲しいと言う奴らの考えは私には理解できんなぁ………。伯爵にも多分分からなそうです。
 少佐は―――まあ、人を怒らすのが得意な人ですから。知ってて確信犯なんでしょうな。それでもミーシャのプライドの高さまでは量りかねたようですが。

 原稿製作中はなんとなくシャ乱Q。タイピング、タグ打ち中にはウェブで見つけたソ連唱歌のミリタリーマーチ集http://sovmusic.km.ru/english/marsh.htmの「If War Will Be Tomorrow」をかけていました。 途中飽きて「スラブ行進曲」を聴いていたり。



 
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