少佐は、まだひりひりと痛む頬を左手で押さえて立ち上がった。


殴られた、その事よりも”女みたいに”張り手を食らわされたことのほうが屈辱だった。

少佐の右手には、指輪が握られていた。

先程、ミーシャの指から抜き取った指輪だ。

すぐ分かるようベッドの横の何もないサイドテーブルの上に指輪を置いて、少佐は部屋を出た。

目から涙が溢れそうになった。

こんな思いをする位なら、あの12発の方がまだ耐えられた。

 

Missing Ring

 


ミーシャの指を見て、今日はじめてみたように、そんなもの付けていたのか、と少佐は思った。女子職員が香水を変えたとか、髪形を変えたとか―――そういった事に気のつかない性質だから、今まで見落としていたのかもしれない、とも考えていた。

「この間―――アラスカでは12発殴られた」

「ん?」

怪訝そうな声でミーシャが返事を返し、少佐の方を振り返った。

「一度見たものはよく覚えているほうなんだが―――指輪なんてしていたか?」

「ああ、」

ミーシャが上体を起こしてベットに起き上がり、指輪を薬指にはめたまま、もう片方の指でくるくると指輪を回した。

「人を殴るときには外している」

「血がつくからか」

「そんなもんだ」

ミーシャが居心地悪そうに背を向けて関節をほぐしている。

「男を抱くときも外したらどうだ」

「裏切りを重ねたくない」

引き返せると思っているのだろうか。自分に嘘をつくのが上手だ、と少佐は思った。

「後学の為見せてもらおう」

「そんな相手がいるのか」

いないわけじゃない、と反論したところで、続かないのではいないのと同じだと返されそうだった。
特に、相手と切れた後、決まってこのような関係が繰り返されるようでは。

少佐から望んで連絡を取ったわけではなく、別の相手とうまくいかなくなると、頃合いを見計らったかのようにミーシャから連絡が来る。
腹が立つから返事は返さない。
三日から四日が過ぎて、一方的に指定された場所で会う。
少なくとも、体だけは満たされるから。

時に少佐が、NATO内で愛人関係を結ぶようなこともあった。
昇進のためと割り切って関係を持つ様な、最悪の上司の時には連絡は来ない。
尊敬していたり、憧れていたりした相手であった場合―――こうなる。
手を尽くして破談に向かわせるよりも、自分の方が少佐を理解している所をみせて戻ってくるように仕向けたほうが確実なのだ。
北風と太陽のように。

だから、今日の男は、優しい。

俺の相手を値踏みしているんだろうな、と少佐は時々思う。

「相手は美人なのか」

再びミーシャが聞いてきた。

「茶髪のショートカットだ」

「身長は?」

「俺より20センチは低い」

「今度も上司か?」

「二つ階級上の部長職だ―――これは尋問だな」

「答えたくない質問か?」

「いや、確かに出世目当てなのは正しい。それに―――」

「それに?」

「その上、女だ」

ミーシャが唇の端を上げて笑った。

「おめでとう、父上もご満足だろう」

「あんたならそう言ってくれると思ったよ」

少し腹を立てたように少佐は言った。

「なぜ怒る必要がある?そもそも、もう会わなければ済む話だ。それとも、結婚前の火遊びのつもりか?」

「今日は、お前が連絡をくれたから会ったんだ」

「わしが電話をしなかったら会わなかったのか?」

「あんたが、俺を―――思っているのか、試しただけだ」

「なら、なんだ、わしが、君を好きだと、惚れていると、愛しているといったら?何かが変わるのか?何も変わらず君は上司と結婚するだろう。その先がどうなるかは別としてな。なら試しても無駄だ。わしは全部知っているつもりだ、君たちが知り合った日から、この先の式の日取りまでな」

そこまで言って、ミーシャは黙った。
「お前にその気がなくても、考え直せとは言わん。これまで見ていたところ、うまくやっているように見えた」

「いいのか、それで………この先会うことが無くても」

「会う機会はあるさ、敵同士でだがな。―――これからはもうこちらから連絡はしない。家庭を壊すような真似はしない」

「だから俺も連絡するなといいたいのか。俺が家庭を壊すような真似をしたか?」

「いいか―――」

そう言ってミーシャは指輪を外した。指にはくっきりと指輪の形だけ日に焼け残って白い痕がついていた。

「さっきお前は外せと願ったが、外している時間よりも外したことを後悔する時間のほうが何倍も長いのだよ」

 

 

そう自嘲気味に話すミーシャの手から、少佐は指輪を奪い取り、素足で窓に駆け寄り指輪を放り投げたのだ。

正確には・・・放り投げたのは別の指輪だった。

平手打ちを食らって、ミーシャが外に指輪を探しに出て行った後、少佐は手に残った指輪を眺めた。

何の変哲も無い、飾り気の無い指輪。

俺が買ったのとは随分違うな、と少佐は思った。

あと30分もすれば、ミーシャが間違いに気づいて戻ってくるだろう。

それまでに、出て行かなければならない。

遅かれ早かれ崩壊する家庭を、壊すために。

 

END

 



ミーシャの指輪を見て少佐が自分を責める話・・・と思ってたのに全然違うくなってしまいました。
何時もの事ですが。

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