「 An Owl of Babaria 」―――序章:バイエルン




昔の同僚だったエージェントがトランシルバニアの森上空で、昨夜午前2時、消息を絶った。

私が殺したも同然だった。

しかし私はまだ信じられぬのだ。

「ババリアの梟」が夜に地に堕ちる筈がない、と。






その警備員は「ババリアの梟」で通っていた。

容姿にかけてはぱっとしなかったが、エージェントとしてはこれ以上を望むことが出来ない程腕利きだった。

「梟」の先祖は代々バイエルンの山賊だったという。そのせいか異常に夜目が利く体質で、電燈すらない真っ暗な夜道でも何も持たずに尾行することが出来た。

「梟」を知る人々は『昔の山賊が今の警備員とは面白い、時代は変わったものだ』などとからかったが、本人はそ知らぬ顔をしていた。それもその筈、やはり「梟」の体に流れる血はどこまでも山賊の血であると本人が誰よりも承知していたからだ。「梟」が『ああそうです、面白いですよねぇ』とうそぶくのを耳にする度、どこまで本気で言っているのか判断がつきかねた。

「梟」がそう呼ばれるようになった理由はもう一つあった。「梟」が独特のしわがれ声の持ち主だった事だ。本当の名前、年齢さえ不明だったが、その声を聞けば誰でも即座にそれとわかっただろう。



単なる偶然であったが、外交官であった私も当時は「鴉」と諜報員の間で呼ばれていた。

私と「梟」は表の仕事こそ違えど、裏ではよく顔を合わせた。 仕事を「梟」に頼むこともあった。警備と称する要人の尾行、情報収集にかけては「梟」の右に出るものはいなかった。

こちらからの頼み事は主に「梟」が警備として勤めているバイエルンの政党、議員の監視だった。

バイエルンという土地、土地の違いが大きいドイツの中でも特に地域色の強いこの地域は、過去にナチスの温床となった場所だ。

1919年1月5日バイエルン州都ミュンヒェンで錠前師アントン・ドレグズラーとスポーツジャーナリストのカール・ハラーによってドイツ労働者党が結成された。アドルフ・ヒトラーが入党したのは1919年9月12日の集会に参加した数日後で、すぐに党になくてはならない演説者となった。

ベルリンなどではもうナチは過去の事とされたようだが、ここバイエルンでは未だにネオナチの活動が秘密裏に行われている。

キリスト教社会同盟(CSU)が力を取り戻した今でも、過去の歴史を汲むものが政権を握らぬよう、万一のことがあれば相手を闇に葬るよう、そしてこちらの犠牲は払わぬよう細心の注意を払う必要があった。





ある日、書斎に入ると事務机から私宛に手紙が二通届いていた。

一通目はボンの司令部からの通達で、「ウラジミロフ准将」と「モスクワのおじさん」を人質交換する日時とそれまで警備の方をバイエルンに任せるという旨が事細かに書いてあった。

外交官の中にスパイが紛れ込み、多くは両方を兼ねている領事館においては、スパイ疑惑で逮捕され、ソ連に更迭されることはよくある事だった。まけじと西側も東側の外交官を逮捕し、そのまま留置する。お互いに相手の身代金を要求するのだが、滅多に通ることはない。そんなことを続けていれば監獄だってパンクするのは明らかだ。

そこで、お互いに捕らえた外交官を人質交換し、事なきを得るというのが長年の不毛な争いによって得た結果だった。

今回もその線での解決を目指すらしいな、と思いながら二通目の封筒を開けた。

たった一行にも係わらず、便箋には筆跡を隠すためかタイプ書きがしてあった。

梟からか。

そう思った瞬間、文字が頭に飛び込んできた。

「人質交換の妨害工作を企てるネオナチ一派あり、交渉望む」





消灯時間を過ぎ、エレベーターも動かないため5階の事務所まで階段を使って上がった。

階段を踏み外さないためには右手の懐中電灯だけが頼りだ。

午後11時半、約束の時間だった。

「どういう意味かね、交渉を望む、とは」

私は青白い非常用ランプのみが点灯している廊下で梟と待ち合わせをした。赤い賓客用の絨毯がひかれた廊下では足音すらしない。梟が近づいていたのにも気付かなかった。

懐中電灯は持っていた筈なのに。

「向こうから申し出てきたんです。『モスクワのおじさん』を拉致、8万ドルが振り込まれなければ殺害する。拉致されたくなくば、4万ドルをこちらが指定する口座に払い込むことだ。そうすれば手出しはしないとね」

梟がざらざらとした声で答えた。

「活動資金目当ての狂言か」

「狂言、と決まった訳ではありません」

「どちらでも同じ事だ」

誘拐してから身代金をいただくか、脅しをかけて奪い取るか、どちらにしろ活動資金目当てなのは間違いない。そしてこちらはどちらにしても払う気は、無い。そしてその余裕も無い。本部の都合なぞ知った事じゃない。

「どうしますか」

「始末する」

「承知しました」

梟の気配は、来る時と同じ様に音もなく去っていった。

私は懐中電灯をぱちんと点け、もと来たエレベーター横の階段を引き返していった。





翌日の新聞の朝刊に波止場で転落死した男の身元が乗っていた。

地元新聞の三面記事だった。







「交渉が決裂したからには必ずなんらかの行動が取られる」それが梟の言い分だった。

彼らの行動は素早かった。

護送車は襲われ、『モスクワのおじさん』、そして護衛の警備兵一人が行方不明だ。

後の調べで、警備兵は東に妹を置いてきていた事が判明した。

ボンの司令部からは人質を捜索するよう通達があった。それとは別に情報部のエーベルバッハ少佐から連絡があり、東側の動きに注意を払えと指示があったので、梟に夜の見回りの時、不審人物を見かければ尾行、報告しろと伝えた。

「東側の外交官は浮き足立ってます、夜な夜な外へと出かけて他のスパイとコンタクトを取りに行く外交官が後を絶ちません」

「なら月夜に尻尾の出ている奴を尾けていれば、自然と逢わせてくれるかもしれないな」

「もう逢わせてくれました」

「早いな、誰だった?」

「仔熊のミーシャです」

ぐっと私は唾を飲んだ。

しかし、それだけでは終わらなかった。

「そして、、。ミーシャの後を尾けていた時、エーベルバッハ少佐に逢いました」

私は今朝来たはずの手紙を思い返した。二つとも、ボンの消印があった。

「何かの間違いじゃないか。少佐はボンにいるのでは」

「いえ、間違いなくエーベルバッハ少佐です」

梟は断言した。

「何の話をしていたか、聞き取れたか」

「目的は一緒のようです、『モスクワのおじさん』の奪還、どちらが早いか、・・・ただそれだけです」

少し言いよどんだその後、すぐに二人は別れました、と言って梟は口を閉ざした。



梟がエーベルバッハ少佐に深い畏敬の念を抱いているのは知っていた。

しかし梟が何か私に隠し立てをしているのは我慢ならなかった。



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中間ですが一言
えらい長々前置きが続いてすみません。次で少佐を出せればいいなと思ってます。
『魔弾の射手』未読の方(いないと思いますが………)のため補足。
「ウラジミロフ准将」元々西側に亡命予定だった人。現在はルビヤンカ監獄の中らしいです
「モスクワのおじさん」KGB内のKGBと揶揄されているスパイ。要はMen in Blackみたいなものか(違うと思う)少佐の活躍で現在はNATOとCIAに取調べられ中。
スパイ交換とか本国へ強制送還みたいな、いかにもなネタを使いたかったのですが、使いきれるかどうか分かりません。
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