この人でも泣くのか。
マグナムを片手で撃てる程、強い肩をかすかに震わせて、
憧れだった強い人が―――
ものうげにうつ伏せになっていた体が、左手を伸ばし、床に転がっていた銃を握った。
チャキ、と音を立てて銃口がこちらを向く。
「出てきたまえ」
はっと寒気を感じながら、立ち上がった。この位置なら、ドラム缶の影に隠れ、少佐から顔は見えない筈だ。
「手を上げろ。コードネームと登録支部を言いたまえ」
そう言いながらも少佐の顔は右手に乗せられ隠れたままだ。
「―――バイエルンのミュンヘン支部、梟です」
相手を過度に刺激しないよう、ゆっくりと手を挙げた。何しろこちらは銃を携帯していなかった。
最も、持っていたところで太刀打ちできる筈もなかったが。
「梟―――ああ、噂通りの声だ」
少佐が右手を支えにし、上半身を起こした。
「そこにずっと居ただろう」
「ええ」
「全て見たのか」
「ええ」
「なら、生かして返すわけにはいかないな」
少佐が顔を上げた。眼はしっかりとこちらを見据えていた。
翠色の炎が瞳の奥で燃える一方で、顔は蒼白だった。
「口封じですか」
「そうだ」
「足が付きますよ」
「ああ」
「罪のない市民を殺害なさるおつもりですか」
「ああ!」
拳銃を右手に持ち替え、狙いを隠れていたガソリンの入ったドラム缶に定められた。
拳銃の先が震えていた。
恐らくは怯えているのだ、この強い人は。
何を怖がる必要があるのだろう、私は少佐より遥かに弱いというのに。
「待ってください、少佐」
「神に祈りたいのなら待ってやる」
「今死ぬかもしれないのに、そんな気持ちにはなれません」
「ならすぐ神のもとに逝かせてやろう」
「その前に私の話を聞いてください」
「命乞いか」
「そうです」
「断る」
「あなたが納得し、私も利を得る解決法が一つあります」
「何だ」
「あなたが―――私と、関係を持つことです」
拳銃の震えが止まり、少佐が拳銃持った手を床に落とした。いや、正確には構える事すら出来なくなっていた。
「貴様―――同類か」
少佐の肩が落ちた。
「あなたの意思はどうあれ、そう悪い取引ではないでしょう―――私はあなたをこの手に得る事が出来ますし、あなたは私の口を封じたも同然で、安心を得ることが出来る」
説得するつもりで一歩踏み出すと、少佐があとじさった。ごつんと後ろの壁にぶつかる。
「近づくな!」
「そう警戒しないで下さい、少佐。何も今とは言いません。三日間考える時間をおきましょう。三日後の夜、あなたのホテルに行きますから、その時はあなたの考え次第です」
少佐が溜息をついた。
「随分と間抜けな提案をする、今ここで殺さずに、むざむざ逃がしてどうする!」
「私は逃げませんよ」
「余計困る!」
そう言うと少佐は、いきなり銃を構え、引き金を引いた。
私は転がるようにドラム缶の後ろに隠れた。
数発の発砲音がして、背後のドラム缶から振動が伝わってきた。
ドラム缶を貫通していれば危なかったところだ。
ちょろちょろとこぼれ出たガソリンが足を濡らしていく。
「今日の所は失礼いたします」
そう言って、死角になるよう元来た道筋を慎重に辿った。
自分の足跡が埃の上に残っていた。
もと来た道を戻る途中、やけに生暖かい風が背後から襲ってきた。
振り向くと、空が紅かった。
嫌な胸騒ぎがして、落ち葉を踏みしだきながら引き返すと、倉庫から小火が出ていた。
少佐は、その揺らぐ炎を見つめながら、ゆっくりと煙草を吸っていた。
やがて風に煽られて火が強まると、煙草の吸殻を倉庫に向かって放り捨て、町へと暗い道を戻っていった。
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