Nightmare of Dark Hair



 暗い夜道を荷物を持って、背筋を無理に伸ばして歩いていたら、傍を通り過ぎていった車の後ろに赤い光が散った。

 壊れたカーランプが道に落ちたのかと思ったが、振り返ると煙草の吸殻と赤い燃え差しが道路に転がっていた。

 それに対し、何も思う事も無くただ道を急いだ。

 愛する人が今から家に帰ってくるのだから。





 ドアを開けようとすると、まだ生まれてから春を迎えてすらいない薄斑の子猫が小さく鳴いて、足首に擦り寄ってきた。

「外にでちゃ駄目でしょう、プシー」

 抱き上げて軽く喉を愛撫すると、気持ち良さそうに目を瞑っておきながら一人前に厭そうに手を避け反抗の素振りを見せる。

「ママ帰ったの?」

 ベルも鳴らさないのにドアが開いて、娘がドアからちらりと顔を覗かせた。

 降ろしてやると、子猫はするりと脇を通り抜けて、居心地の良い居間のソファを陣取ってしまった。

「駄目よ、そこはパパが座るんだから」

 ちょっと乱暴に娘が席から子猫を押しのけると、遊んでくれると思ったのかその手に毛糸のように子猫の兄弟がじゃれて絡まりつく。

「ああ、もう!後で怒られるわよ!」

 怒ったような顔をしているけれど、その声と視線には小さいものへの愛情だけが注がれている。

 折角追い払った席に子猫達が毛皮を擦り付けないよう、深く座り込んで猫を膝に座らせる。

 忽ち膝の上に駆け上がる子猫のせいで娘のほっそりとした膝頭は常に薄赤く細かい傷だらけだ。

 その膝の上の子猫を、娘が霜焼けのない指先が赤く染まった手で優しく撫ぜている。

「手伝おうかママ?」

「まだいいわよ、それより試験の勉強をしてなさいね」

 買い込んできた食材を出してから洗う前に泥を落とそうと手で掃っていると、ミャウ、という鳴き声と、玄関をばたばたと走る音がして、大きな声がした。

「母さん、今日の晩飯なに?」

「それより着替えてきなさい」

 ちぇ、と舌打ちをした後でばたばたと置き去りにした荷物を取ると、居間にいたアンナとお互いに顔を顰めてみる。

 最近急に背丈が伸びた息子には娘は力で太刀打ちできない。

 最近急にお洒落に気を遣い始めた娘には、兄の気遣いが邪魔になって仕方ない。

 難しい年頃なのだろう、反発こそしないものの、お互いに見向きもしないが時にそうやってまだまだ子供なのだ、と普段は手出しできずに不安に見ている側をほっとさせるのだった。

 湯気で曇ったガラス越しに通り過ぎる人影が見えたと思ったら、小さなチャイムの音がした。

「今度こそパパじゃない?」

 ソファの上で猫と一緒にじれていた娘が立ち上がると、ぱたぱたと足音をさせて廊下を走っていった。





「少し遅くならなかったか?」

 厚手のコートを脱ぎながら、夫が訊ねてきた。

「いい時間に帰ってきましたよ。

ご飯ももう直ぐですし、イワンもさっき帰ってきたんです」

 微笑しながら答えると、「こんな時間に?」と言ってシャツを脱いでくつろいだ部屋着を着込んだ。

「部活に入ってるから遅いんですよ、面倒見がいいから後輩の指導もしているらしいわ」

 受け取ったスーツとネクタイをクローゼットに掛けて、扉を閉める。

「荷解きは後にしましょう、イワンがお腹を空かせてます」

「折角土産を持ち帰ったんだが」

「開けてしまったらご飯が冷めますよ」

 夫が口元に皺を寄せて笑った。

 それからまだ冷たい手で私の頬に触れ、そのまま大きな腕で抱きしめて「ただいま」と呟いた。

 そして私は「おかえりなさい」といつもの人を安心させる言葉だけを囁いた。







 食事の後、片付いた食卓を四人と何匹かで囲んでから、早速包装紙を破ろうとする子供と、破れてしまって床に落ちた包み紙に歯や爪を立てて全力で攻撃する子猫を、夫は楽しそうに目を細めて見つめていた。

「きゃあぁぁ!ジリーのビデオだぁ!パパありがとうっ!」

 そういって猫のように夫の首にかじりつく娘と並ぶと、開封した途端、「………あ」と、一言だけ言って青ざめ硬直してしまい、気に入らなかったかと訊ねられてから無言で首を横に振る息子を見ると、やはり兄なのだと、その微妙な成長に嬉しくなってしまった。

「…何で人の欲しかった物が分かんだよ」

 感謝の言葉すらぶっきらぼうにはぐらかす息子に対し、

「それぐらい分からんでどうする」

 と静かに夫が答えた。

「……でも母さんの分がないよ」

「ちゃんとスーツケースの中に入ってる」

 気に入ってくれるといいんだがな、と付け足す夫に微笑んだ。

「貴方が選んでくれたもので、私が気に入らなかったものなんてありませんでしたよ」

 そう言うと、夫も自然と笑顔になった。

「そんなに色々詳しいんだったら、買い物するのも楽だよな〜」

 そううっかり不平を漏らす息子を、夫がからかった。

「何だか買い物で失敗した事でもあるみたいだな」

「そういう訳じゃないけどさ。惚れてる相手への贈り物って、何あげていいか分かんないんだよ」

「惚れたなんて言葉を使っちゃいかんな」

「愛してるなんて恥ずかしくって言えねえもん」

「惚れると愛するってのは全く違うぞ。惚れるってのは憎みながらも出来る事だ、愛するってのは………そうだな、父さんにとって母さんや、お前達も大事な愛する家族だよ」

 イワンが何か思い当たる事があるらしく照れて俯いたのと、アンナが嬉しそうに夫に抱きついたのが余りに対照的で、夫と顔を見合わせて笑ってしまった。

 昔の、私が夢中になって愛した彼は、時々躊躇いなく言っていた。

「お前と、そして白クマぐらいだろうな、俺が死ぬまでに愛せる人は…」

 そう言う彼の瞳は、今とは違いサングラスで無理に隠される事も無かったからか、照れと真実を正直に伝えて輝いていた。

 昔の高慢にもなれた自分は、友人と自分を並べることに我慢ならなかったが、

 今は、彼が愛する、そして彼を愛する友人と家族がいる事を心から嬉しく思うのだ。





 ソファに二人並んで積もりに積もった話をしていると、瞬く間に時計の針は十二時を回り、夫の膝の上で寝転んでいた親猫と、私の膝の上の子猫の腹が等しく上下している。

 夫がサングラスを外し、気だるげに目を擦った。

「疲れているでしょうから、先に休んでくださいな。

荷物は片付けておきますから」

「ああ―――じゃあ頼む」

 そう言って、親猫をソファの上に抱え降ろしてから、

「ケースの中にお土産が入ってるから」

 と、今まで忘れたように呟いた。

 子猫を親猫の隣に寝かせてから立ち上がり、書斎に戻ると、机の横に黒いスーツケースが立て掛けてあった。

 ぱちんと音をたてて留め金を外し、床の上にケースを広げる。

 綺麗に包装紙に包まれた箱を静かに開けると、綺麗な紅色の口紅が入っていた。

 アンナがイワンぐらいの年齢になったら、あるいはもう少し早くにでも譲ってやろうかと思い、箱の中に仕舞い直してから、一緒に畳んであった洋服を外に出した。



 白いワイシャツの背中に、長い黒髪が一本、挑戦的に張り付いていた。





   END






 今年始め及びサイト移転記念up小説がこんなので許されえるでしょうか(無理だと思う)
 最後に怖さでいやーな気分になってくれたらとりあえず目論見は成功です。

 自分の気分が浮ついていて、どう転んでもやおいが書けない状態になってしまったのでリハビリに家族団欒を書いてました……少佐を敵に回したら怖いだろうなぁ………と予感しながら。
 今年の目標「官能」は早くも失敗の様子。







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