「単なる信頼と尊敬を示すにすぎないものだ」
そう言うと、少佐が反論してきた。
「示し方にも色々あるが、ここのやり方は異常だぜ」
西欧での挨拶が、相手が武器を携帯しているか確かめる為に発祥したのなら、この地ではその代わりに相手の温もりを求める。
戦うべき相手が人の代わりにこの寒さだっただけのことだ。
それの何が悪い、テリトリーの狭いドイツ人め。
「あんたはよく西側的退廃文化って言葉を口にしてたが、来てみれば大して変わらんな。政治家から農夫まで随分行き過ぎた愛情表現をするじゃないか。抱き合って、キスして………正気を疑うぜ。あんたはどうだ、白クマとは数十年の付き合いじゃないか。やっぱりやってるのか?会う度に?」
耳元で続く口さがない詮索にいい加減うんざりし、軽く口で口を塞いだ。
鼻先をタバコの香りがかすめて通り過ぎる。
「ほらこれが友情のキスだ、分かったか」
そう言って肩をポンと叩くと、よろ、とよろめく。
あれだけイギリス人に懐かれているのに、この男はまだ染まりきっていないらしい。
キスそのものに明確な目的などなく、たかが親愛の証明、要はお手軽な意思確認と体を熱くする副作用だけだというのに。
面白いものを見るような目が気に障ったらしく、
「薄利多売の愛情表現だな」
としかめっ面をして強がり吐いた。
「愛情じゃない、友情だ」
「キスに愛情も友情もないだろう」
まだ引かずに強を張るか。
「愛情の挨拶はな………」
そう言って指先で招き、接近してきた体を掴んだ。
抱き心地の悪さを感じた免疫のない体は意外な程に怯えて肩を狭めてきた。
閉じた瞼の下で睫毛が震えてさぞかし心の奥底であげる悲鳴も震えているだろう。
だが何を叫ぶというでもない。
何を叫べばいいのかもお互いに分からない。
なにしろ自分の力をセーブする因子がないのだ。柔らかな感触とか、花の香りとか、二周りも違う体の大きさとか………そういった「手荒に扱うと壊れる」という実感がない。実体の無いものは限度を知らず、タイミングも計れない。脳から指令が出ないといつまでも満腹と感じないように、触れて吸いつくようなキスがいつの間にか噛みつき貪り喰うように変わっていく。
それは底のない暗い沼のように、自分でも止め様がなかった。
歯止めが効かなくなるのが恐ろしくなり、慌てて身を引いた。
少佐が大きく息をつき、どろりとした緑色の目で見上げてきた。
「どうだ」
頬を上気させ呼吸の整わないままで最後の抵抗を試みてきた。
「友情も愛情も………程度の差にしたってキスはキスだろ」
「違うね」
「どこが」
「愛情はキスだけじゃ終わらない」
フラ語の授業中にフランス人の挨拶の仕方というのを余談で話していた時に、「まあもっと凄いのはロシア人ですけどね」という感じで先生が言ってたのです。
文学史で現代詩のお勉強をした後で大分自分のポエミー加減が露呈しています。これまたどうにもなりませんでした………。
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