迷 い 猫 ---by Paris_Ground





尾行がついているな―――そう思いながらホテルの前へ出る道を曲がった。

もう先にチェックインを済ませている頃だろう。フロントに電話して、会えなくて済まないと伝えなければ。



ミーシャは背後に人の気配を感じながら、通り過ぎる振りをした。



2階だったか、3階だったか―――そう考えながらホテルを見上げると、あることに気がつき、ミーシャは足を止めた。



窓が少し開いていてカーテンが外にたなびいていた。

つい先ほどまで少佐がホテルの庭を見下ろしていたのだ。

夜の雨で湿ったカーテンを風が揺らしていた。



誰かに気付かれたらどうする、と少佐を責めると同時に、今、さも偶然宿敵に遭ったかのように装い、中に入ればいいと思い直した。ミーシャは傘をぱちんと音をたてて閉じ、ホテルへと入っていった。



中に入り、フロントの感じの良い老紳士、といった感じの支配人に、長い黒髪のドイツ人の部屋はどこかと尋ねた。

「聞いております。3階の7号室でございます。何日までご滞在ですか?」

「何故私に聞くのかね」

「お客様が、相手次第だとおっしゃられましたので」

「商談が成立したら、私は直ぐお暇するつもりだ。向こうはあしたの朝までは居るだろう」

「かしこまりました」

紙幣でチップを渡すと微笑まれた。遺憾な事ではあるが、東欧圏では自国通貨よりもマルク紙幣が強い。

帽子を軽く下げてから、真鍮の手すりを持って階段を登っていった。





ドアをノックすると、少佐が不機嫌そうな顔をしてドアを開けてきた。

「窓なんか開けて何をしていたんだ、風邪でもひきたいか」

そう言うと、少佐は持っていた傘とトランクを奪い、部屋の中に無造作に運び入れてから、また窓の外を見下ろしていた。

水を吸って重くなった上着を脱ぎ、ベットの上に畳まれていたタオルで体を拭きながら訊ねた。

「何が見えるのかね」

「―――猫」



そういった後、そっぽを向く様にまた窓の外を見つめていた。

「ちょっと見せてみろ」

そう言うと、少佐は壁に体を寄せた。そして、こちらが何をしようとしたか分っていると言わんばかりにこう言った。

「犬は二匹居る―――、一匹はアメリカ、一匹は東ドイツだ」

「協力関係ではない、か」

なるほど、暗い道に2つ、距離を保ってビニール傘が並んでいる。同じ組織なら自然と傘も近くに寄る筈だ。

そして、道から少し離れたテラスで、黒い猫がテーブルの下にうずくまっていた。野ざらしのテーブルから雨の滴が垂れていた。猫の光る毛は雨で濡れて伏せっていた。

「さっきまでは軒下にいたんだが、お前が来たからあんな所に逃げたんだ」

「そうか、―――ん?」

一つの傘がホテルの中に小走りに駆け込んでいった。それに驚いて猫が暗い外へと逃げていった。

「猫が逃げた」

「―――何?」

いつの間にかベットに移動して、仰向けに体を横たえていた少佐が体を起こした。

「犬が驚かしたらしい、町に出て行った」

そう言ってカーテンを閉めた。

いきなりこの場に来る事はないだろうが、不安材料であるのは変わりがない。

少佐が立ち上がり、苛々と部屋をうろついた。

「こんな雨の夜に、可哀想だな」

「そうだな」

「あの猫を連れてきたいな」

「そうか」

とにかく身支度を整えようと、窓に背を向け靴を脱いだ。靴下まで水を吸っていた。

「猫を探してくる」

「なんだと?」

そう言うなり、少佐は壁にかかっていたコートを羽織り、トランクの傍の濡れた傘とテーブルの上の鍵を掴んでドアの外に飛び出していった。

慌てて窓の外を見ると、少佐が持った傘をささずに走り出していくのが見えた。

そして、遅れて猟犬が二匹、少佐の後を追いかけて行った。





部屋に一人残されたミーシャは、唖然としてベットに腰掛けていた。

「何がしたいんだ」

口に出して言えば言うほど疑問が増えていった。

先ほど脱いだ濡れた靴に踵を押し込み、まだ湿ったままの上着を羽織った。そして玄関に立てかけてあった少佐の傘を持って外に出た。

鍵が掛かったことを確かめると、自分が来た廊下を戻っていった。

フロントにスペアキーを借りた。これで、まだ帰らない間に戻ってきても部屋が開けられるし、居ない間に闖入者に忍び込まれることもないだろう。

傘をぱちんとさしてから外に出た。

雨は止む気配もなくずっと降り続いていて、水溜りの数が増えていた。

テラスのテーブルの上は水浸しになって、水がテーブルクロスのように絶え間なく滴り落ちていた。

まず庭に出て、猫の居そうな場所―――に居そうな少佐を捜索する。

路地裏の細く暗い道にうごめくものがないか覗き、倒れていた塵箱を無造作に蹴る。

小さい公園の遊具に、折りたたまれた傘がかけてあった。

俺の傘をこんなところに忘れていきおって―――

そう思いながらミーシャは傘を取り上げ、公園を出た。



広い道路に戻り、ホテルへと戻った。

「お客様ならつい先ほどお戻りですよ」

先ほどの支配人とは違う、金髪を固く結った若い女が声をかけてきた。

「こんな時間まで若い女性が働くのは問題だな」

そういって、スペアキーを返すと、

「もう一人ガードマンがおりますから大丈夫ですわ」

と微笑み返された。

「何をしに行かれたのです?」 「いや、猫をみかけてね」 「珍しい猫だったのですか?」 「多分―――普通の子猫だな。見せてあげられなくて残念だ」

「猫が好きな方なのですね」

「私も好きだよ」

そう言って、会釈をしてから、

「あと二人客が来たら、私たちは帰ったといっておいてくれ。商売敵でね。商談の邪魔をされては困る」

と付け加えた。

「かしこまりました」

もう一度チップを渡し、階段を上っていった。





ノックをすると、やや待たされてドアが開いた。

まっくらな部屋の中、まだコートを羽織ったままの少佐が入り口に立っていた。

長い髪から水がぽたぽたと垂れ、肩に落ちていた。

足も重く部屋に戻ると、手足を投げ出して椅子に座り込んだ。

「一体、どういう事か説明してもらいたいものだな」

冷たく言うと、自分の上着を脱いで、壁にかけた。

「―――どうしてかあの猫が欲しくて堪らなくなったんだ」

「何故だ」

「解らない、解らないんだが、どうしてか、なぜか―――」

そう言って、立ち上がってから目を伏せて言った。

「でも、お前が探しに来てくれたから、それでいい―――」

「そうか、とにかく着替えて頭を拭け」

そういうと、何故か声を出して笑われた。

少佐はコートと上着をまとめて椅子にかけると、靴下を履いたままベットに倒れこんだ。

濡れたシャツが素肌に張り付いていた。

濡れた髪が頬に張り付いていた。

あの猫のようだと咄嗟に思った。

きっとベットの中でも雨に打たれた猫のように鳴くのだと思った。





居場所のない、猫。






ヘミングウェイの「雨の中の猫」を読んだ後のオマージュ。
その「猫」は子供の象徴として書かれていましたが・・・

BGMは「心騒ぐ青春の歌」。久々に聞くとやっぱりいい。創作意欲が沸く(湧くに非ず)歌です。



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