C o l o r







 親父の髪は赤かったらしい。

 らしいというのは僕が実際に見たわけではないから。物心付いた時には既に親父は自分で頭を剃りあげていた。

 ごくごく若い頃のセピア色の写真しかその証拠は残っていない。

 思うに、親父は髪の色に劣等感を持っていたのだ。

 今の僕と同じ様に。



 親友のミハイルの金髪に見とれてしまう度に、少なからず自分は損をしていると思う。

 並んで歩くと比べられている気がして、ついつい歩調を速めてしまい、時々ミハイルにたしなめられる。

「気にするなよイワン」

 顎をくっと上げ、まっすぐに僕を見る。文学青年の肌と髪は、風にさらりとなびき、灼熱の太陽に灼かれ色褪せることも無い。

 親父もその羨ましさを味わったのでは。



 鏡の中の自分が気になる年頃になると、鏡を覗く時間が長くなって、生え始めた髭が気になりだした。

 こっそり親父のシェーバーを使い始めたが、掃除をしなかったために使い込みが露見したらしい。

 出張から帰宅した時に買ったばかりのシェーバーをプレゼントされた。

 親父の使っている安っぽい国産品ではなく、輸入が中断されていた筈のドイツ製だった。









 それからもう十年になる。

 電話で親父の死を告げられた時、夢中で部屋を飛び出した。

 死因も知らなかった。



 家具が移動された部屋は嫌に広々として生活感がなく、余計に寒々としていた。

 葬儀には知らない人も見知った顔も一堂に会した。

 皆等しく肩を寄せ合い、静かに故人のいた日を思い返し潤んだ目を天に向ける。

 妹は泣きはらした目を擦り、親戚に慰められていた。

 母は泣いていなかった。

 きっと随分と前のどこかで別れの覚悟を決めていたのだ。



 いい年をしたおじいさんが涙をボロボロこぼしているというのに、自分が泣いていないのが不思議だった。

 しかし考えれば、時間にしても言葉にしても、親父と違う道を歩んだ自分ひとりが余所者なのだ。

 密葬の後で、私は疲れていたのかもしれない。

 やけに腹が立ってきて、ウォッカを引っ張り出し生のままであおった。

 酔いを感じてから玄関のチャイムが鳴っていたのに気が付いた。

 最初は葬式に遅刻した間抜けな弔問客かと思ってドアを開けた。

 夜の闇に溶け込むような黒髪の長身の男が立っていた。

「イワン君?」

「そうですが、あなたは」

 ちょっと躊躇うように口を閉じた後、男は言った。

「クラウス・エーベルバッハ男爵です」





「故人の生存中はひとかたならぬご厚情を賜り有難う御座います」

 グラスにウォッカを注ぎながら馬鹿の一つ覚えの様な台詞を出した。

 すぐにでもホテルに帰りそうなそぶりの男は、どう贔屓目にみても親父の友人にはみえなかった。

 年齢にしても親父と会話が合いそうな年齢でなく、自分の年と近いとも思えない。

 最悪の場合親父の同業者が仕事に来ている可能性もあったが、何故かそのまま帰したくなかったのだ。

「貴方はお父さんによく似とるな」

 正確なロシア語の発音に僅かなドイツ訛りがあった。

「そうですか?」

「ええ、特に口元が」

 男はグラスの中の液体を一気に半分ほど飲み干した。

 初めて会った時から気が付いていたが、この男は随分と端正な顔立をしている。

 高い鼻筋と細い顎の輪郭線と、緑色の目が輪をかけて威圧するようだ。

 お陰で肝心の質問までに随分長い時間が経った気がする。

「恐れ入りますが、父とはどのような関係ですか」

 グラスも何杯か重ねた後で、少し頭に靄がかかり始めていた。

 だから質問の答えもよくは覚えていない。

 ただ、

 彼が誰であるかに拘わらず、私に比べれば親父との関係は遥かに密だったに違いない。





 1時間ほどして、男は暇を告げて帰っていった。

 外は暗いからと墓地までの案内を申し出たが、やんわりと断られた。

 泣くのかな、とも思い、この男にはそぐわないとも思った。

 彼だってどちらにしても観察者が居るのは嫌だっただろう。





 帰った後になって、急にウォッカが体に廻ったようだった、

 やけに神経が昂ぶり、胸が疼く。

何度も溜息をついた。

 頬杖をついた瞬間、ざらりとした感触に髭のことを思いついたが、

 葬儀の慌しさでシェーバーを置いてきたことに気が付いた。

 洗面所のドアを開け、引き出しを漁り親父のシェーバーを見つけた。

 ここ半年ほど使われた後がなく、うっすらと埃をかぶっている。

 コードを差込み、スイッチを入れても動かない。

 接続が悪いのかと差し込み直そうとした時、うっかり手を滑らせて床に落としてしまった。

 嫌な音がして殻が割れ、ぱっくりと中身が開き、鋭い刃がむき出しになる。

 慌てて片そうとした時、部品と一緒に白い粉が散っているのに気が付いた。



 この粉は何だろう。



 一呼吸、二呼吸と考えて気が付いた。

 そしてそのまま床に突っ伏し、止まらない涙をこぼれ落ちるままに任せた。





   END








これ書いた後であいこさんに見せた時、「イワン君の一人称が僕から私に変化してる」と指摘を受けました。

意図した訳ではなく、単なる落ち度なんですが・・・。

でも確かに一人称の変化で時間の経過が出てるので、微修正のみにとどめました。

確か受験時代に読んだ国語の問題が元ネタです。



アップした後に「最後の一文は無いほうが良い」と言われたので、削ってあります。(2003/7/7)
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