『人と超人』









「どうしたんだ、ソーマ…少尉。」

 ソレスタルビーイングからの人革連内部情報の暴露によって、技術者の更迭とその後の庶務にかかずらい、いつもより遅めの就寝につこうとしていたセルゲイ中佐は、入ってきた少女の姿に上半身を起こした。

 とってつけたように階級を口にしたが、その乙女の容姿に対し、それはなんと似合わず無骨なものよとセルゲイは思っている。

「お休みでしたか?」

「いや、構わんよ。何かあったのか少尉」

 既に着替えていたので、とりあえず椅子にかかっていた制服を肩から羽織り、椅子を勧め、自分はベットに腰掛けてソーマと対峙する。

 ガンダムのパイロットと接触した時のソーマの様子には不穏なものがあり、日が経つうちにやや落ち着いていたもののそれも小康状態といったところか。

 深夜を回る時間だというのに、まだモスグリーンの軍服のままだ。襟もきっちりと上まで立てている。

「何故かは解らないのですが、中佐…頭が痛むのです」

「どうして、いや、いつからだ」

「おそらく…今日の昼頃から」

 そういってソーマはこめかみ辺りを押さえた。誰かに相談したのか、と言おうとして、セルゲイは口を閉じた。

「あの、君が元居た施設と、何か関係があるのではと思う。殺された君の同僚たちの思いに、何か感じることがあったのだろう」

「ガンダムのパイロットと感応した様にですか」

 ソーマが顔をあげた。

「恐らくは。模擬戦以来、状態が改善してきたので安定剤は経口投与に切り替えていたと聞いていたのだが」

「ええ、でも飲み尽くしてしまったんです」

 そう言って、ソーマ少尉はサイドテーブルに薬瓶を置いた。サイドランプの光を反射するリッターサイズの透明な瓶の中には、やや大きめのカプセルが数えるほどしか入っていなかった。

 セルゲイは、瓶のラベルを確認した。一日の投与量…三〇錠。数回に分けて飲んでいるとはいえ、手に盛ると相当な量だ。しかし…

「開始日は4日前だ。使用量を守っていれば、2週間はもつ筈ではないか」

 そういうと、ソーマが視線を逸らした。白い髪の毛の先がごく僅かだが震えている。

「いや、責めているのではない。だから、本当の事を言って欲しい…飲んだんだな、今日」

「頭痛が…止まなかったのです」

「そのようなことなら、私のような専門外ではなく、」

 その先を続けることは出来なかった。

 ソーマの担当医は、夕刻に更迭した技術者だ。そうでなくとも、ソレスタルビーイングによって人革連が強化人間を量産していることがマスコミに流されて上部が神経質になっている今、体調の不具合を申し出ることは望ましくないとソーマは思ったのだろう。

 それに、態度には出さないが、ソーマは技術者のことを嫌っている様子だった。セルゲイにしても、あのような人を数値化してしか測れない者に、ソーマを触らせていたのかと思うと、腸(はらわた)が煮えくり返る思いだった。

「いや、なんでもない。それより今は大丈夫なのか。頭痛も、それにそんなに大量に薬を飲んで」

「大丈夫、大丈夫です。薬も吐き気の為に半分は結局戻してしまったんです」

 ソーマの言葉を聴いて、セルゲイは少し安堵した。しかし吐いたとなると尋常ではない。自分の手をソーマの額に押し付ける。広いと思っていた額も、自分の手で押さえてみれば完全に隠れてしまう。

「頭痛に吐き気か。熱はないようだな」

「そこまで病人扱いされなくとも結構です」

「しかし、頬が赤いぞ」

 そういうと、ソーマがぱっと立ち上がった。

「お休み前にお邪魔致しました。失礼致します」

 そう言って、椅子の上の軍帽を手に取るソーマに、セルゲイは声をかけた。

「明朝直ちに新しい軍医を手配しておく」

「ありがとうございます」

 ソーマがドアの外で形式ばったお辞儀をした後、ドアは閉まり、足音は足早に遠ざかっていった。







******





 セルゲイ中佐の部屋から退去した後、ソーマは自分の個室に戻った。

 それまでと同じように布団の上に体をうつ伏せに投げ出し、潮の満ち干きのようにじわりとした痛みが脳下垂体に押し寄せる度、拳を硬く握り締める。そうして朝まで耐えるつもりだった。決して中佐の睡眠の邪魔を、誰の邪魔もするつもりはなかったのだ。白いシーツにくっきりと握り締めた皺が残っていた。

 最初のうちは拳を作り、八つ当たりするかのように枕に振り下ろしていた。しかしそんな元気も無くなっていた。

 いっそ、意識を手放してしまえたなら、どんなにか楽だろうに。

 ソーマは、対峙したガンダムのパイロットから異常を感じ取っていた。パイロットは…恐らくは自分の同類である強化人間だった。今日の襲撃も恐らくは積年の恨みを晴らすものだったのであろう、建物は跡形も残さず破壊されていた。彼の者の怨みも解らなくはない。かもすると自分が同じような症状を得ていた可能性も決して低くはない。人格の分裂、ただ木偶ノ坊の如く痛みを引き受ける人格を作り出すことが出来たならどんなにか楽だろう…ソーマは、いや、ソーマに否が応でも流れ込んでくる死んでいった強化人間である同胞たちの意識が、ただその痛みの代わりを求めていた。誰でもいいのだ。自らの痛みを引き受けてくれれば。

  枕にソーマは顔を埋めた。固めた前髪は乱れ、涙に濡れた枕に窒息しそうだった。

 こうして朝までじっとしているしかないというのに、頭の痛みはさっきよりも鮮明になっている気がした。薬の効き目が切れてきたようだった。

 もう薬に耐性が出来てきたのかもしれないなと、ぼんやりする頭でソーマは思った。

 もっと、

 もっと強い薬を。もっと多く薬を。薬を。薬を、クスリを、



「ソーマ少尉殿」



 いきなり背後から声をかけられ、ソーマは慌てて振り返った。ベットのすぐ傍にセルゲイ中佐が立ち尽くしていた。ソーマも驚いたが、顔色からしてセルゲイ中佐はもっと驚いていたに違いない。

「失礼した、ノックをしたが返事がなかったものだから」

「いいえ、どうぞ」

 枕に耳まで頭を埋めていたから気付かなかったのだろう。慌てて上体を起こした時、反射的に枕を抱えていた。大概の少女ならかわいらしいポーズと写ろうものだが、ソーマのそれはどう見ても自らの身を守る盾だった。

「門外漢なものでどうしていいのか分からないのだが、こういったことが度々あったのなら、今後私がどうすればいいのか教えて欲しい」

 そう言ったセルゲイ中佐の視線は真摯で、まっすぐにソーマを見つめていた。

「あまり詳しくは…暴れている間に拘束されてから麻酔薬を注射されるのでいつも意識はないんです」

 セルゲイの太い眉根に皺が寄るのをソーマは見逃さなかった。 「あの技術者、シベリア送りだな」

 セルゲイがぼそりとつぶやいた。

「彼は自分の職務を果たしていたに過ぎません」

「ガンダムのパイロットの素性を知りながら報告してこなかった時点で疑問視される。少尉を通じての人体実験や過度の越権行為がなかったとも言い切れない」

 その言葉の暗に含んだものを感じて、ソーマも眉を顰めた。顔の表情筋を動かすと、ずきずきとした痛みがふいにぶり返し、顔をしかめる。

「痛いのか?」

「平気ですっ」

 言葉が荒くなってしまったのを感じ、ソーマはせめていつものままの表情であろうと努めた。しかし、セルゲイ中佐の言葉にソーマは耳を疑った。

「恐らく今君は、何十人もの痛みを背負っているのだろう。只の人でしかない私には理解できない痛みを。その苦しみを、私に分けてはもらえないだろうか」

「中佐…」

 正気ですか、と言おうとしたが、中佐の目は真剣だった。

「では、傍にいていただけるのですか」

「乙女を一人で泣かせておく訳にはいくまい」

 このような人外の物のように扱われてきた自分を乙女だという中佐の心理は、案外に自分よりも少女趣味なのではないだろうか。

 ソーマがそんなことを考えていると、ぎゅっと枕ごと抱きしめられた。

 中佐からはソーマの知らない匂いがした。

「中佐、中佐…!」

「大丈夫だ、何もしない」

「違います、そのように優しくされては…本当に今の私は、あの時の様に正気を失うやしれません」

 今、危うく軌道エレベーターを堕としかけた時程、いやそれ以上に錯乱し、見境を失くせば、例え中佐であっても手にかけるやもしれない、そう思うとソーマの体に震えが走った。

「それこそ望むところだ」

「しかし、」

「大丈夫だ、少尉のような乙女にどうにかされるほどヤワな体じゃない。出来ることなら、全て肩代わりしたいところだ」

 今の痛みも、今へと続くソーマの過去も。

「中佐…」

 ソーマもセルゲイ中佐の背中に腕を回した。



 その夜、痛みが寄せてくる度に、ソーマはセルゲイ中佐にしがみつき、無我夢中で爪を立てた。

服の上からとはいえ、度重なれば短く切りそろえた爪でも凶器だ。しかし中佐は声ひとつ立てなかった。

一度だけ、枕と取り違えて、首筋に噛み付いた時、夢うつつの中低いうめき声を聞いた。

生理的に溢れ出る涙を無骨な指で払われる感触を覚えていた。

暴れようと突っ張る四肢を強く抱きしめられる感触は手枷足枷とは全く違い生身の温かさを秘めていた。

頭を撫でられる感触を覚えていた。

脳髄に差し込む痛みよりも、優しくされているという実感が勝っていた。

波のように、少しづつ、少しづつ、痛みは遠のいていき、ソーマ少尉はセルゲイ中佐に抱きかかえられたまま、いつしか眠りに落ちていた。

たとえ浅く、つかの間の眠りであろうとも。



 次の日、中佐に抱きしめられたままソーマは目を覚ました。

 真ん中にあった筈の枕は、ベットの脇に転がっていた。

 中佐は正体なく眠っている。少し伸びた中佐の顎鬚と、首筋の己が付けた小さな丸い歯型に手をやり、そして、急いでこの場を離れようと決心した。少しでも中佐に気まずい思いをさせぬよう。

 次は自分が、中佐を守る番だと、心に決めながら。




















11話を見た後、一気に書きました。ダムは聖域だったのに。 次の日は首筋の傷がバレて軍法会議とかではなかろうか。 んでもってソーマが乱入してきて「中佐は優しくしてくれました!」とか←益々問題発言
司令以下人革連皆がしょんぼりして「少尉がいいならしょうがないかぁ…」てな感じに勝手に既成事実が出来ちゃうといい。 夢見がちですんません。

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送